徳島の風景

自動車専門行政書士伊藤正昭のプロフィール

故郷徳島の吉野川と眉山

ロゴとドメイン名に込めた思い

金色の盾に込めた想い

当事務所のロゴは、金色の盾に「TLA」の文字をあしらったデザインです。この盾は、私たちが目指す「中小零細運送事業者の守護者」という役割を象徴しています。

日々、道路を走り、物流を支え、人々を目的地へと運ぶ運送事業者の皆様。その事業を法務や行政手続きの面からしっかりと守り、支えていきたい。そんな想いを、堅固な盾のイメージに重ねました。

金色は、信頼と価値、そして揺るぎない専門性を表現しています。

TLAロゴ

ドメイン名「transportlegaladmin.jp」について

ドメイン名は、私たちの専門性を明確に表しています。

  • Transport(運送) - 自動車運送事業に特化
  • Legal(法務) - 法律の専門家として
  • Admin(行政) - 行政手続きのサポート

この3つの頭文字「TLA」が、ロゴの中心に刻まれています。transportlegaladmin.jp というドメイン名を見ただけで、「運送事業の法務・行政手続きの専門家」であることが一目でわかる。そんな分かりやすさを大切にしました。

私たちの使命

中小零細の運送事業者様は、日々の業務に追われ、複雑な法令対応や行政手続きに十分な時間を割けないこともあります。だからこそ、私たちが盾となって、皆様の事業を守り、安心して本業に専念できる環境を整えるお手伝いをしたい。それが、このロゴとドメイン名に込めた、私たちの変わらぬ想いです。

自動車運送事業は国の厳格な許可制度のもとに置かれており、事業者様が遵守すべき多岐にわたる法令や規制が存在します。これらすべての規制を事業者様だけで理解し、適切に実行していくことは極めて困難であると言わざるを得ません。

時として、単純な見落としや新たな規制への対応の遅れから、行政処分を受け、一定期間の車両使用停止処分となることもあります。これは事業者様にとって直接的な売上減少に直結する、避けるべき事態です。

私は行政書士として、このような事態を未然に防ぎ、事業者様が法令を遵守しながら安定した事業運営を実現できるよう、法的な「守護者(guardian)」の役割を果たすことを使命としています。法と事業者の架け橋として、皆様の事業継続と発展をお守りすることが私の使命です。

行政書士としての歩み

平成15年(2003年)10月24日、日本行政書士会連合会より行政書士として登録されました。登録番号は第03162号です。最初に受けた仕事は、ロケバス会社からの貸切バス新規許可取得の依頼でした。

行政書士登録証

行政書士登録証

登録番号 第03162号
平成15年10月24日登録

以来20年間(令和5年現在)、200件以上の許認可取得をサポートしてきました。東京を拠点としながらも、千葉・神奈川・山梨・大阪・名古屋・京都・北海道のお客様にもご利用いただいています。ご要望があれば日本全国どこへでも伺いますので、お気軽にご相談ください。

現在の専門分野

現在は自動車運送事業専門で業務を行っています。「専門」と言いながらも幅広く対応しているのは、ロケバス事業者様のニーズに応えるためです。

ロケバス事業者様は、貸切バス事業だけでなく、機材や衣装を運ぶための貨物自動車運送事業、そして都市型ハイヤー(一般乗用旅客自動車運送事業)も同時に経営されていることが多いのです。こうしたお客様のご要望に応えるため、以下の手続きを承っています。

  • • 一般貸切旅客自動車運送事業
  • • 一般乗用旅客自動車運送事業
  • • 一般貨物自動車運送事業

※ 以前は遺言・相続業務も行っていましたが、現在は完全に終了しています。

資格・認定

行政書士資格および自動車運送事業の運行管理に関する国家資格を保有しています。

旅客運行管理者資格証明書

旅客運行管理者資格

貸切バス・ハイヤー事業の運行管理

貨物運行管理者資格証明書

貨物運行管理者資格

トラック貨物運送事業の運行管理

自己紹介&ライフストーリー

生い立ち

昭和42年4月26日、千葉県鎌ケ谷市(当時は東葛飾郡鎌ヶ谷町)に生まれました。父は海上自衛隊の自衛官で、近くの海上自衛隊下総航空基地に勤務していました。

4歳の時に母の実家のある徳島へ引っ越し、高校卒業まで徳島市内で育ちました。そのため、故郷と聞かれると「徳島」という気持ちが85%、千葉が15%といったところです。

徳島は四国の東部にあります。阿波おどりと鳴門のうず潮とすだちが有名です。

徳島

学校

幼稚園:私立加茂名幼稚園(読み方は「かもな」です)

私立加茂名幼稚園

小学校:徳島市立加茂名小学校
中学校:徳島市立加茂名中学校
高等学校:徳島県立城ノ内高等学校

小学生時代の思い出

小学校5年生の終わり頃、突然担任の先生からトランペット鼓笛隊(当時はまだブラスバンドではありませんでした)への入部を勧められました。即決で入部し、トランペットを始めることに。

音楽の授業は特別得意ではありませんでしたが、トランペットは上達し、アンサンブルコンテストのメンバーにも選ばれました。わずか1年ちょっとの期間でしたが、様々なイベントや演奏会に出演しました。

通っていた徳島市立加茂名小学校は、私が入学した時点で創立100年を超える歴史ある学校でした。当時は子供の多い時代で、1学年7〜8クラス、全校児童は1,800人を超えていました。ちょうど徳島のベッドタウン的な地域だったのかもしれません。中学校も場所が変わっただけで、ほぼ同じメンバーでした。

中学時代の吹奏楽との出会い

小学生時代は野球が好きだったので、中学では野球部に入るつもりでした。しかし入学直後、なぜか旧校舎に呼び出されました。そこは吹奏楽部の部室で、小学校のブラスバンドで一緒だったメンバーや合唱部のメンバーが集められていました。これが吹奏楽部への勧誘だったのです。

最初はテナーサックスを持たされましたが、当時の私には大きすぎて指がキーに届かず、ユーフォニアムに楽器チェンジとなりました。

ユーフォニアムとは、長い間日陰の存在でしたが、ユーフォニアムをフィーチャーしたアニメのおかげでやっと陽の目を見ることができた楽器です。

ユーフォニアム

中学3年間は吹奏楽に明け暮れる毎日でした。私が入部した当時、学校は県内では吹奏楽の強豪校で、毎年四国大会へ出場していました。吹奏楽コンクールは野球でいう甲子園のようなもので、地区大会から県大会、支部大会と勝ち上がり、最終的には全国大会を目指します。四国大会へは県内から2校選ばれます。

2年生の終わりに、思いがけず部長に選ばれました。先輩からの推薦と全部員の挙手による投票により部長となりました。今でも謎です。もしかしたら同じ楽器の先輩が部長で、いつもくっついていたのでそうなったのかもしれません。

同楽器の先輩との写真

3年生になる時に顧問の先生が代わり、若い新任の先生が赴任しました。その先生は全国大会経験者でした。とかく何かが変わる時はいろいろ問題が起きるもので、今までと違うやり方に部員から反発などがありました。その度に部長は矢面に立たされました。新しい先生としてはやはり全国大会レベルを目指しているわけです。

四国大会は夏休みにあるので4月からだと4か月しかないのですが、なんやかんやありながらも新しい先生の指導のもとで頑張りました。夏休みに入っても休みなく練習に合奏に明け暮れました。

県大会は当然のように金賞をとり、そして代表となり四国大会へ駒を進めました。2年生の時は地元徳島での四国大会だったので、自分にとっては初の県外での大会にワクワクしました。そして苦労の末に高知県で開催された四国大会で、初めて金賞を受賞することができました。

全国大会へは金賞の学校から代表が選ばれます。残念ながら代表には選ばれませんでしたが、中学最後の年に金賞がもらえたことは本当に嬉しかったです。

私たちの学校は毎年秋に定期演奏会をしていました。経験者ではないほとんどの1年生はその定期演奏会でステージデビューとなります。もちろん1年生はまだあまり上達していないので第1部だけの出場となります。私もそうでした。

小学生の時にステージデビューはしていても、フル構成の吹奏楽では初めてだったのですごく感動したのを今でも覚えています。ステージでライトを浴びながら大勢の聴衆の前で何かを表現するというのは病みつきになりますね。ステージ袖での雰囲気も格別です。

これは味わったことのある人にしか分からないかもしれませんね。3年間で3回の定期演奏会のステージを満喫しました。(高校1年の時にOBの部に出たので正確には4回となりますが)そして吹奏楽に明け暮れた中学を卒業するわけです。

そして事件は起こります。

高校時代

当時の徳島市は、普通科の高校5校をまとめて総合選抜校(総選と呼ばれていた)としていました。この5校に行きたい場合は、高校受験は総選として受験するのです。そして合格発表の日までは、この5校のうちどの高校へ行けるのか分かりません。

ですが、入学希望校を1位から5位まで記載することになっていたし、先輩たちはほぼ希望校に入学できていたので、自分も当然、希望校へ行けて吹奏楽が続けられるものだと考えていました。

しかし、合格発表の日にその希望は粉々に打ち砕かれました。入学先として割り振られた高校は新設されて3年の高校で吹奏楽部はありませんでした。当時はまだ徳島には市民吹奏楽団なんてなかった時代でしたので、こうして吹奏楽の道は醜い大人の事情で閉ざされたのです。

あとから知った事情ですが、新設校は人気がない。さらに市内の普通科である進学校の学力水準を平均化するために設けられた制度でした。本当にまじクソな制度です。

高校で他に打ち込めるものもなく、高校時代はバイトに明け暮れることとなりました。

大学時代

当時はバイクブームで友達も結構な数の人がバイクに乗っていました。夏休みにバイクで実家の徳島に帰り、高校時代の友達と高知の室戸岬へツーリングへ行きました。当時乗っていたバイクは、YAMAHAのFZR400です。

大学時代のバイク写真

楽器の再開

2015年6月から32年ぶりに楽器を始めました。ユーフォニアムをまたやりたかったのですが、選んだ楽器はフルート。

なぜフルートを選んだのかというと、「軽い」ので持ち運びが楽、演奏人口が多いので「コミュニティ」を作りやすい、音自体も好きでしたし、ほとんどすべての指を使う楽器なので、脳の老化防止にも役立つんじゃないかなとも思ったからです。

うちから数駅離れた教室に月2で通っています。引っ越してからは同じ最寄り駅になりました。(2019年現在)半年に1回ほど、教室のおさらい会(発表会みたいなもの)があります。

おさらい会での合奏風景

年を経るほどフルートが好きという気持ちが大きくなってきています。生涯の趣味にはとてもいいと感じています。